2008'07.23 (Wed)
「あしたの私のつくり方」〜人生の脚本家の正体は?〜
離婚した両親、学校の友人など
周囲に自分を合わせてしまうことに
息苦しさを感じている主人公・寿梨。
あることをきっかけに、優等生で人気者の枠から
いじめられっ子へと転落してしまった日南子。
物語は、この二人を中心に動く。
ある日、高校生になった寿利は、日南子が今どうしているかを
偶然知る。そこで、日南子のために、
【人気者ヒナ】というキャラをつくり、【ヒナ】のハッピーを描いた
「ヒナとコトリの物語」をメールするのだが…。
年齢相応のピュアな感性と、
16歳とは思えない落ち着きある演技が
堂に入っていて驚かされる。
この映画を観て、思春期の頃を思い出した。
当時、世界を決めるものは自分以外の
何者かの要素が大きく、そこからは逃れようがないと
考えていた時期があった。
約10年たった今、それはひどく他人に依存した
考えであったと感じている。
映画の中で特にポイントだと思ったのは、やはり
寿梨が日南子のために
書いたお話「ヒナとコトリの物語」。
これは、じつは誰もが毎日無意識の中で描いている
【人生の脚本】をクローズアップして
表現したものではないかと思う。
満員電車に揺られることも、
友人にメールを返すことも、
休まず学校へいくことも、
お気に入りの服を着ることも。
ささやかではあるが、
すべて自分が描き決断したストーリーの一部といえないだろうか。
結婚相手を決めるとか、受験する学校を決めるとか、
そんな大げさなものでなくても、そうした一つひとつの
選択と決断が人生をつくりだしていく。
主人公と脚本家は、もちろん、自分。
(時々そうでない人もいるだろうけど)
だから
「私なんてこんなもの」と思えば、
「私なんてこんなもの」な人生が待っている。
納得いくストーリーがほしいなら、
推敲と書き直しは恐れてはいけない。
そのときそのときの無数の選択肢の中から
選びとられた【現在(いま)】の
積み重ねが明日以降の未来の自分をつくっていく。
結局「あしたの私は、自分でつくる」
しかない。
でもそのことさえわかれば、人生なんて
実にシンプルで自由なものだと気づかされる。
自分のものだから自由に描いていいし、
親や友人の視線も本当は気にしなくていいのだ。
(好き勝手にわがまま放題生きろという意味ではない。
人生の方向性は自分で選択できるという意味だ)
自分の人生のハンドルを握っているのが誰か
ふと疑問に思ったら、観てほしい映画である。
周囲に自分を合わせてしまうことに
息苦しさを感じている主人公・寿梨。
あることをきっかけに、優等生で人気者の枠から
いじめられっ子へと転落してしまった日南子。
物語は、この二人を中心に動く。
ある日、高校生になった寿利は、日南子が今どうしているかを
偶然知る。そこで、日南子のために、
【人気者ヒナ】というキャラをつくり、【ヒナ】のハッピーを描いた
「ヒナとコトリの物語」をメールするのだが…。
![]() | あしたの私のつくり方 (2007/11/09) 成海璃子 商品詳細を見る |
【More・・・】
成海璃子が主人公の寿梨を好演している。年齢相応のピュアな感性と、
16歳とは思えない落ち着きある演技が
堂に入っていて驚かされる。
この映画を観て、思春期の頃を思い出した。
当時、世界を決めるものは自分以外の
何者かの要素が大きく、そこからは逃れようがないと
考えていた時期があった。
約10年たった今、それはひどく他人に依存した
考えであったと感じている。
映画の中で特にポイントだと思ったのは、やはり
寿梨が日南子のために
書いたお話「ヒナとコトリの物語」。
これは、じつは誰もが毎日無意識の中で描いている
【人生の脚本】をクローズアップして
表現したものではないかと思う。
満員電車に揺られることも、
友人にメールを返すことも、
休まず学校へいくことも、
お気に入りの服を着ることも。
ささやかではあるが、
すべて自分が描き決断したストーリーの一部といえないだろうか。
結婚相手を決めるとか、受験する学校を決めるとか、
そんな大げさなものでなくても、そうした一つひとつの
選択と決断が人生をつくりだしていく。
主人公と脚本家は、もちろん、自分。
(時々そうでない人もいるだろうけど)
だから
「私なんてこんなもの」と思えば、
「私なんてこんなもの」な人生が待っている。
納得いくストーリーがほしいなら、
推敲と書き直しは恐れてはいけない。
そのときそのときの無数の選択肢の中から
選びとられた【現在(いま)】の
積み重ねが明日以降の未来の自分をつくっていく。
結局「あしたの私は、自分でつくる」
しかない。
でもそのことさえわかれば、人生なんて
実にシンプルで自由なものだと気づかされる。
自分のものだから自由に描いていいし、
親や友人の視線も本当は気にしなくていいのだ。
(好き勝手にわがまま放題生きろという意味ではない。
人生の方向性は自分で選択できるという意味だ)
自分の人生のハンドルを握っているのが誰か
ふと疑問に思ったら、観てほしい映画である。
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